三十路迷走記

三十路を前に迷走し、三十路を過ぎて途方に暮れる毎日  「レーシック難民」なのか!?

あきらめること。生きること。

クロネコさんのブログを読んで、閉鎖していたブログをもう一度更新しようと思いました。彼女に自分自身の近況報告をしなくてはならないような気持ちに駆られて、今ここで文字を綴っています。

一つの決断をしました。編集の仕事にいつか戻れるのではないか、その儚い夢を手放しました。都内に戻ることを諦め、地方に引っ越すことを決めました。この目は、今後老眼もかなり早い段階で発生し、きっと近くも遠くも見えなくなります。働けるのはいつまでかわからない。その限られた時間、夢にすがって非正規雇用として生きるのではなく、体調管理が難しい出張もなく、残業も30時間程度だという一般事務の仕事に就くことを決めました。長く勤められればと心から思っています。

私にとっては、人生は働くことでした。追い詰められなければ仕事をしている気にはなれなくて、無理にしか思えない目標を達成し、あちこちに出張してあちこちでいろいろな人と会って、まさに仕事がすべてという人生を生きてきた私には、一般事務の仕事に就くというのは大きな決断でした。「治るかもしれない」。その思いを手放して今、もう一度今までの私とも、レーシックに囚われていた私とも違う私を生きようとしています。

無理をせず。深呼吸して、リラックスして。できないことを数えるのではなくて、レーシックをしてできなくなったけれど、少しはましになったことを数えて。ギリギリで生きる喜びを追うのは諦めました。クロネコさんが書いていたように、普通の人のように見えるけれど、実際は普通の人のように見せることでギリギリなのがレーシック後遺症患です。

繰り返しになりますが、レーシックに失敗して、私の人生は睡眠時間の確保が命綱になりました。趣味だった読書は禁断の麻薬に。長距離運転と夜間の運転は命懸けに。今までだったら弱音なんて吐くわけもない残業50時間でもう限界。飲み会は行けれど、全ての体調を整えないと軽い気持ちで無理はできません。薬は飲み続けているので、子供は産めない。快晴は目の劇薬。ランニングしようにもメガネとサングラスを両方かけたら変な人だし、コンタクトは最近、どうにも入ら吐き気がひどくなるため使えなくなってきました。というわけであんなに大好きだった泳ぐこともしていません。体の強張りは酷くて、毎週通っている整体に、どれだけ散財しているとか。

レーック後遺症にわずらわされなければ、何も考えずに当たり前にばりばり徹夜して金を稼いで、本を読みまくって現実逃避して、走って泳いでストレス発散して、日差しが強い場所に旅を海を泳いで山に登って幸せを感じるという今を生きていたことと思います。でも、その私はいなくなって、身障者の自分がいまここにいます。その事実を受け入れて、あきらめて、強くなったのか、弱くなったのかはわからないけれど、生と死の堺から抜け出したことは確かです。そして、同じレーシック後遺症に悩む人と接する勇気は持てないまでも、健常者にレーシックで失敗した事実を伝えることには臆することはなくなりました。それも含めて自分だからです。

レーシックを受けて、2年がたとうとしています。この2年間は、これまでの30数年間の短い人生の中でも、とても苦しい2年間でした。失明するのではないかと不安を募らせ、病院めぐりをして、それもやがてできなくなって寝たきりになって、そこから抜け出すために時給700円のパートを始めて、そこからいまの非正規だけどフルタイムの仕事を始めて、そして、たぶん周りからは健常者にしか見えない「今」もなお、先に書いたようないろいろな制約の中で生きています。

それでも、幸せを感じることはできます。レーシックや、そうじゃなくても思いがけない病気や事故で以前の自分を失った人に、そのことを伝えたいような気がしています。ささやかな日常に。お金を稼げることに。あの寝たきりの地獄の日々から無理やりにでも抜け出せたことに感謝して。治療方法がなくとも、諦めるしかなくとも、諦めるところから人生がまた始まるということを、私は学んだような気がします。

今、ただ苦しい誰かのために書きます。それは一生続くように思えると思います。実際、症状は一生続きます。以前の健康は取り戻せません。それでも。それでも。健康をあきらめて、今の自分を受け入れて、そこから生きていく先には、きっと幸せを感じられる瞬間も待っています。

あきらめる覚悟。この眼で生きていく覚悟。地獄から抜け出すために必要な覚悟は、この二つのように今、2年間を振り返りながら思っています。ただ生きるために、生きていくしかない時間も、不幸な時間ではきっとないのだと思います。いつか、今の積み重ねが何かにつながっていくことを願って。

 

術後1年以上たって

皆様、お久しぶりです。

私の体調は相変らず、訳の分からないままです。それでも、前に進むことができるようになってきました。

老眼鏡を一日に何度も付け替えて(度数が変わるので)、その上からサングラスをかけて、眩暈と背中と首と顔の強張りを和らげるために精神安定剤を飲んで、ミドリンを毎日点眼して、そんなふうに自分の体を飼いならしながら、「生活」しています。

レーシック前の健康だった日々を思い、悔しい思いにとらわれてしまう日もあります。肩も首もめちゃめちゃだし、本も読めないままだし、これまでの自分がいなくなってしまったことは間違いありません。

それでも、一時期の布団から出ることすらできなかったころを思えば、だいぶ症状は軽減されています。失明した方がいいと思うこともなくなりました。食べ物を食べられるようになりました。たとえ辛くても、見えることに感謝できるようになりました。

レーシックをしてしまった事実、障害者になってしまった事実はもはや、一生背負っていく以外ありません。早めに年寄りになっただけだと思うようにしています。

だから私は、もう後悔するのは終わりにします。レーシックをした後悔ばかりしても、状況は何も変わりません。今の私にできることを考える方がよっぽど現実的です。淡々と、できることを積み重ねていくしかありません。

レーシックの危険性を知ってもらうために、ブログは残しておきますが、私自身がこのブログを更新するのは、これで最後としたいと思います。これまで、私を励ましてくださった皆様、いろいろな情報をくださった皆様、本当にありがとうございました。

体調いまいち

今日はなぜか、いつも不調の右目ではなく、左目の痙攣が午前中止まらなかった。右目も普通に痙攣しているわけですが。
いろいろと頑張り続けることに疲れている。メイラックスの減薬を始めたせいもあるのだろうか。
視力は、11月ごろから近視化したように思ったが、暖かくなってきたらまた遠視化しているようで、目から口の中への圧迫感が復活。背中の強張りも結構ひどいところまで戻ってきている。コンタクトは最近、つけると見えにくくて付けられないまま。
私の場合、暖かい方が体調が悪くなる気がする。入浴もすると気持ち悪くなって吐きそうになる。なぜなのだろうか。
術後一年で発症したハログレアも続く。
全体的にいまいち。このところ、また気力がプツンと切れてしまっているようだ。

再び

死にそうな体調に戻ってきた。この地獄はいつまで…理由は不明。
働くのも結婚生活の維持もやはりこの後遺症がある限り、無理なのではないか。

まずい

限界を感じるここ最近。
皆さま コメント返せてなくて申し訳ないです。

続く怒り

右眼球が握り潰されるような痛み。あり得ないまぶしさの夜景。右手の痙攣。肩と首の異常…。

受け入れようと努力して、共存しているレーシックの後遺症たち。いったん怒りが蘇ると、受け入れるのが難しくなる。「こんなの私の人体じゃない」と現実から逃げたくなる。

全てに投げやりになってしまいそうだ。

1年かけてやっと受容の境地にたどり着きつつあったのに、蘇った怒りと後悔と憤りに支配されて、生きているだけで感謝する気持ちよりも今日は、できなくなったことたちを思って、悔しくて眠れない。

私はいつまで、今の日常を維持できるのだろうか。生きている今への感謝より、未来への恐怖が募る。

術後一年のクリニックの対応

どうしようもない怒りに襲われている。

責任を取らないクリニックに対して。必要がなかった「レーシック手術」を私に施し、私の人生を変えたクリニックに対して。私の体に何が起きていようとも、原因を「分からない」「こうかもね」と軽く言い、それに対して何の術も講じることのない、まったく責任感のないクリニックに対して。メーカーだって、売った商品で健康被害が出れば何らかの処置を講じる。ましてや「医療機関」をうたっているクリニックが、なぜ責任を取ろうとする姿勢を見せないのか。むしろ、私の精神状態がおかしいのかのように人を取り扱うのか。

術後1年ということで受診して、耐えられない気分になった。怒りだけに襲われた。レーシックのことを忘れよう忘れよう、今できることで人生に満足していくことを覚えようと、努力し続けた1年間。受診して、今の状況を何の分析もしようとせず、責任を逃れるためだけのような「医師」の「安定してますよー」という言葉を聞かされ、仕事と日常を喪った人間がどう思うか、考えたことはないのだろうか。

レーシックをうけなければ、私は健康のままだった。レーシックさえ受けなければ本を読めたし、旅行にも行けたし、運転もできたし、アウトドアも楽しめた。仕事をつづけられた。結婚式だってあきらめる必要がなかった。心臓に異常が出ることだってなかったかもしれないし、右手足の痙攣のせいで文字を書いたり、タイプしたいすることに困難を覚えることだってなかったかもしれない。

私が喪った数々の可能性。因果関係は確かに、誰も立証できないのだろう。だが、レーシックを受けたせいで私が、今なお日々精神薬と各種ビタミン剤やサプリ、漢方を飲み、メガネとコンタクトを何本もとっかえひっかえし、寝る前に調節麻痺の目薬を差して、目元エステをして、それでもずっと右眼と肩と首に異常を感じながら、手足の痙攣や心臓の異常や聴覚の異常や、三半器官の異常や、眩暈や、そういうことに悩まされながら、まともな仕事もできずに、光におびえながら、ずっと好きだった読書も映画を見ることもできずに明日自分の体調が劇的に崩れないことだけを願って、ただただ目を休めせるために眠りながら暮らしているのは事実だ。

すべてがクリニックが「成功」と掲げるレーシック手術のせいだとは言い切れないのかもしれない。目も体調も数カ月単位で症状を変えている。それでも、レーシック前のまったくの健康優良児だった自分を思えば、レーシック後の各種異常は、眼からきていると経験則から考えてしまう。

喪ったすべてを償えとまでは言わない。言ったところで詮無いことは知っている。だが、あの対応はなんなのだ。多少の責任と、今のこの状態を分析して、どう対処したらいいかを多少でもいいから示したらどうなのか。

何をどうしたら、仕事をして、週末家族とゆっくり時間を過ごして、夜熟睡して、食事を楽しめて、みたいな普通の生活が取り戻せるのかわからない。友人の話を聞いて、社会的に「成功」している人たちの感覚と触れて、自分自身がいかに、いろいろなものを喪ったかを気付く。たぶん、二度と、これまで歩んできた人生のあのレールの上に戻ることはできない。

レーシックで喪った「今」。あったかしれない「今」を思い、クリニックの無責任さと相まって、ただただ強い怒りに襲われている今日。

寝続けている

体力が限界。何もできない週末。
でも仕事をやめたくない。お金がない暮らしも、なんの意味もない時間を消費する日々にも戻りたくない。
でも体は限界で、働ける状態ではないと全身で訴える。
レーシックなんてしなければよかったと繰り返し思う。右目と右半身がオカシい。

「レーシック難民」が年末年始にした10のこと

さあ新年。というわけで、この年末年始にしていたことを振り返ります。

 

1)東海光学の遮光+偏光オーバーレンズを買いました

2)度数がまた変わったのでメガネを新調(近く用はモイスチャーメガネPC用の遠視メガネ、遠く用も買い、これで10本くらい手元にメガネがある状況に)

3)相も変わらず手足のしびれと頭と肩と背中の強張りが異常事態なので、整体に二度行きました

4)眼科に行って内服薬と目薬をもらいました

5)メガネ屋に行って、色つきメガネを買うことを検討し、度数が変わり続けている現状を鑑みて経済的に無理と判断

6)毎日の安定剤・漢方・サプリの服用、ヒアレイン・サンコバ・ミドリン点眼継続

7)肩用の小豆の力を頻用、就寝前は必ず目元エステ

8)首と頭のコリが相も変わらず酷いので、「首ストレッチ」を買いました

9)そういえば遠視コンタクトも買いました。月定額制だというメニコンのメルスプランも検討しつつ、とりあえずは必要なものだけ購入

10)厄除けに行き、病気平癒のお守りも買いました(神頼みも継続中)

 

後は掃除をして、初詣に行って(厄除けもして)、この連休も大方終了です。

このブログを読んでくださった皆様にも、「レーシック難民」な私が金と時間をどう使っいるか伝わるのではないでしょうか?

お金に余裕があるわけではありません。正社員として働いていたころに比べて収入は3分の1以下に激減しています。そして始めたばかりの今の仕事も、いつまで続けられるかは分かりません。

それでも、レーシックによる痛みや体調不良を少しでも和らげるために散財せざるを得ない。生きていくための必要最低限の体調が維持できていないから、例え食費を削っても、車の購入をあきらめても(どうせ運転できないですが)、貯金を切り崩しても、金を使うしかないのです。

それでも私は、幸せに生きていきたいと思っています。新年の抱負は「いつか普通に暮らせるようになると信じること」。2014年も綱渡りの日常を何とか維持できるように、時間もお金も気力も、すべて捧げる覚悟です。少しずつでも体調が良くなっていくことを信じて、今年も生きていきます。

働くのは無理っぽい

普通にゆるめの仕事を始めて数週間。
結構限界のようなものを感じている今日この頃。
遠方視力も近方視力も落ちてきて、右目は何をどうしたらいいのか分からない。
読まずに仕事はできない。
以前とは何もかもが違う。
レーシックで失敗した人間が普通に働いて生活するって、やはり夢でしかないのだろうか。